サムネ

3月1日(水)に川崎競馬場で行われるエンプレス杯(4歳上牝・JpnII・ダ2100m)。1955年に創設された伝統の一戦で、現在は春のダート女王決定戦として定着している。過去の勝ち馬の中で、燦爛と輝きを放つのがホクトベガ。ダート交流重賞の黎明期に活躍した歴史的名馬だ。 ■「ベガはベガでも…」名フレーズ生む激走  ホクトベガは父ナグルス...

  1. 1
    繁殖にあがれなかったのが、返す返すも残念です。
    6 1
  2. 2
    ケーエフネプチューンは、勝ちにいく競馬でホクトベガが並んできても抜かせようとせず必至になっていたけど、タレて3着になっちゃったよね。 競らなきゃ間違いなく2着だったんだがね。
    2 4
  3. 3
    ドバイに行った時にかなり爪が悪かったと聞いている。横山典騎手が追うだけでなく、大事に乗るようになった転機でもある。
    12 2
  4. 4
    当時は古馬牝馬の路線が整備されてなかったし、 G1を勝ったことでハンデもキツかった。 ダートに活路を見出すまでの苦労があったからこそ 彼女の伝説ができたんだと思う。 自分の中では今でもダート最強牝馬です。
    123 9
  5. 5
    横山さんがヤラズをする様になった原因ね
    2 2
  6. 6
    全国回ってその圧勝劇を見たいがために多くの人が来場したのは紛れもない事実。今のダートグレードが確立できたのもホクトベガのおかげといっても過言ではない。
    41 3
  7. 7
    当時競馬を全く知らない小学生でしたが、おそらく関口宏司会の「知ってるつもり」だったかの番宣がアニメを録画したビデオに入っていて、そのナレーションでの「ドバイに散った砂の女王ホクトベガ」という一文が今でも耳にこびりついて離れない。 おそらく偉人などをとりあげる番組で馬を特集したのは異例だったはずと幼心に記憶している。
    11 4
  8. 8
    ノリちゃんの「ごめんねベガ、ありがとうベガ」というコラムの言葉が忘れられない。
    2 1
  9. 9
    ダートではないですが、エリ女を人気薄で勝った時の「ベガはベガでもホクトベガ!」のフレーズは、いまだに印象に残っています。 関テレ馬場アナは、杉本アナにも引けを取らないくらいの名実況が多かったと思います。
    48 3
  10. 10
    黎明期とはいえ距離や馬場、コース、回りの違い、メンバー、全部無視して10連勝。なんて強いんだろう。
    19 2
  11. 11
    私の中では日本最強ダート馬はあなた、砂かけ婆です!
    10 2
  12. 12
    クロフネにダートで対抗できる馬は長い歴史の中でもホクトベガしかいないと思う。
    13 4
  13. 13
    もしも無事だったら日本の馬で真っ先にドバイワールドカップに手が届いてたことは疑いようのない稀代の名馬でした。 世界中の度肝を抜いてくれたことは間違いなかったはずです。正真正銘の本物の一等星でした。
    28 7
  14. 14
    遠い昔に廃止になった高崎でホクトベガを見た。 なつかしい思い出。
    18 1
  15. 15
    彼女はモナリザ。その強さは永遠の秘密です。
    4 1
  16. 16
    あまりにも地力が違いすぎて馬なりで大差をつけて勝ったレース。 地方競馬界にも衝撃を与えた。 後続の馬群を走っていた馬の騎手は「前のレースの馬が残っているのかと思った」と語った。
    29 4
  17. 17
    川崎記念観に行ったなあ。あの頃はまだライブリマウントがいたから一番人気じゃなかったけど。あんなに強いトウケイニセイがライブリマウントにはまるで歯が立たなくて。そのライブリマウントもホクトベガには敵わないという。交流重賞はワクワクしたなああの頃
    8 6
  18. 18
    エンプレス杯は、生観戦していましたが、競走馬を初めて美しいと思ったレースでした。 水の上を飛んでいるように見えました。
    26 1
  19. 19
    フェブラリーSはこの馬以降、牝馬は勝ってなかったじゃないかな。別定G2の時代だから斤量も重かったしね。
    10 1
  20. 20
    仕方ない事だとわかってますが日本に帰ってきて欲しかった。
    17 1
  21. 21
    いまもホクトベガはドバイの地で眠る。 横典が涙したというエピソードは有名ですよね。
    11 1
  22. 22
    凱旋門賞の度に思うよ ホクトベガみたいにダートでも強い馬なら・・・って
    1 1
  23. 23
    大好きなお馬さんの1頭です
    2 1
  24. 24
    ベガはベガでもホクトベガ。
    2 2
  25. 25
    この頃はまだただの重賞に過ぎなかったフェブラリーSを3コーナーから一気に仕掛けて先頭に立って、そのまま押し切るという常識では考えられないレースを見て、この馬ならドバイでも勝てるんじゃないかと夢を見てましたが… まさかそのドバイで散るとは思いもよりませんでした。 本当に辛かったなあ。
    11 1
  26. 26
    まあ強かったね。 ゲーセンのギャロップレーサーでは,なぜか芝路線だったけど・・・。 どうやって安田記念勝てってのよwみたいな。 まあダート路線ではゲームにならないか。強かったもんな。
    5 14
  27. 27
    最後を思い出すと、どうしてもね… 好きだったなぁ…
    10 1
  28. 28
    お父さんがナグルスキーという、渋めの血統なのもいいですよね!
    6 1
  29. 29
    キタノアルタイル わかる人と仲良くなれると思う。
    5 2
  30. 30
    馬体が大きくて、ガッチリしてる。牡馬顔負けのマッチョな馬だったな。遠目に見て牝馬とは思えない。 ドバイやその後の海外レースで無事に走る姿を見たかったな。
    19 1
  31. 31
    「ホクトベガ」ダートではものすごい・桁違いの強さだった・あれこそ天下無敵、故障予後不良で残念だった。
    29 1
  32. 32
    ベガはベガでもホクトベガって何故か杉本さんだと思ってる人が周りには多かったです。
    5 1
  33. 33
    ホクトボーイ.ホクトヘリオス.ホクトベガ...... 馬主の森滋さんとは仕事のお付き合いで 何度かお会いした事がある。 お元気だろうか。
    2 2
  34. 34
    今年ギルデッドミラーかスピーディキックがとれたかもしれない フェブラリーSを勝った牝馬は 後にも先にもホクトベガだけ!
    1 1
  35. 35
    この馬の存在があるからドバイ遠征は特に不安になるのよね もしかして帰ってこないんじゃ…ってね
    9 3
  36. 36
    3.6秒差の圧勝。 自分が長く競馬を見てきた中でもあれだけ勝ち馬と後続が離れたレースは見た事が無い。 3.6秒差?と思うぐらい、カメラが最大に引いても後続馬の姿は無かった。
    5 2
  37. 37
    そうなんや!そんな良いお馬さんだったのか当時はにわかだったから、、、あの有名なベガはベガでもの名言!いつまでも耳に残ってます!
    1 1
  38. 38
    永遠なる砂の女王。彼女が散ったドバイワールドカップ制覇は彼女の誕生日にヴィクトワールピサによって果たされた。
    35 1
  39. 39
    ホクトベガ子。ベガはベガでもホクトベガ
    1 1
  40. 40
    最後、綺麗に締めているけど、人間のエゴによって怪我させられ処分されたってことやろ。
    1 4
  41. 41
    典さんが今の騎乗スタンスを持つきっかけになった砂の女王。このレースの後また芝に戻って敗戦続きで翌年同じ川崎の川崎記念で当時のダート王者ライブリマウントをぶっちぎってその後は全国の交流重賞を飛び回った。(秋は芝に再挑戦もしてた)そしてドバイで悲劇の最期を迎え典さんは精神に大きな傷を負って馬をとにかく無事に厩務員の元にかえす事を第一に考える様になった。ホクトベガの厩務員の藤井さんはホクトベガをお姉ちゃんと呼ぶくらい愛していてエリザベス女王杯を勝った後しばらく勝てず調教師から障害転向が検討された時藤井さんは反対してオーナーに手紙を出してた。
    50 5
  42. 42
    あまりにも残酷な結末。中央だけやなく地方もあちこち遠征してくれて最後のドバイでまさかの…。 競馬の神様ってよく言うけど微笑まんでもいいからせめて見守って欲しかったよ。本当大好きでした。
    33 3
  43. 43
    南部杯での「女王さまとお呼び」も競馬史に残る実況
    11 1
  44. 44
    ベガはベガでもホクトベガ! 名実況だったな
    3 2
  45. 45
    ドバイのレースに、ホクトベガを讃え、ホクトベガの名前のレースがあったんだけど、今もあるのかなぁ。
    6 1